父の姿と私の未来

今年の夏も厳しい暑さでした。88歳の父に、熱中症予防のために水分摂取を勧めるのですが、頑として聞き入れてもらえず困りました。「俺は熱中症にはならないんだ。昔、山を歩いていたときは水を飲むとバテるって教えられたから、どんなに喉が乾いても飲まずに登ったもんだ。」……いや、それは60年くらい前の話でしょうが。
「そうは言っても、日本の気温はもう昔とは全然違うのだから。」と、再度促しても、「俺は喉は乾いていない。汗もかかないから飲まなくていい。」と返されるばかり。
特に高齢者は、喉の渇きを感じる前に飲む方が良いと聞くし、汗をかかないのなら体温調節ができなくて、それこそ危険なのではないかと思うのです。
昔の山歩きで挫いたという右足首が高齢になってから痛むようになり、その足をかばって歩く父は、ふらつくこともあります。母が杖を買おうと言っても、「俺は山男なんだから、杖はつかない。」と、こんな調子です。父にとっては、大好きな山を歩いていた若い頃の感覚こそが、今でも信じられるものなのでしょう。現実を受け入れたくない気持ちも、わかる気がします。
父の姿を見て、果たして私はどんなおばあちゃんになるのだろうと考えるのです。年齢を重ねるということは、何かしらの機能が衰えていく厳しい現実に向き合うこと。果たして私はそれを受け入れられるのか。「まあ、いっか」と笑えるような柔軟な自分になっていられたら、どんなに素敵だろうと思います。そのために、50代の今、しておくべきことは何なのか。模索する今日この頃です。
文 中村幸代










