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ピアノの先生

2020.4
文:中村幸代

green café essay vol.102
「ピアノの先生」


娘は4才から約8年間、ピアノのレッスンに通いましたが、どうしても練習に前向きになれず、中学入学を機にやめることにしました。ピアノの先生は、クラシック音楽にとても造詣が深く、ヨーロッパのご友人も多いベテランの先生。これまでもたくさんの生徒さんを音楽大学、音楽家の道へと送り出してこられました。

私自身、音楽を始めたのが9才からで、同業者の中ではかなり遅い方。そのため仕事を始めてからずっとコンプレックスに苦しんできました。一芸を身につけるには、早くから取り組むに越したことはないと信じていた私は、我が子が幼稚園生になるとすぐに、その先生のもとへ通わせたのでした。けれども母親への反抗心なのか、娘はあからさまにピアノの練習を嫌がるのでした。でも、いつかスイッチが入るのではないかと、親としての期待と諦めの悪さで、8年も続けてきたわけです。

先生は『子どもたちに音楽の素晴らしさを伝えたい』と折々おっしゃっていて、レッスンの間、子どもに対し決して感情的に怒ることがありません。練習をしてこなかった時には、一緒に歌を歌ったり、音楽を聴かせてくださったり、時には娘の好きな話につきあってくださって、韓国のポップスを一緒に楽しんでくださったり。思えば娘は、なんと温かく豊かな時間を過ごさせてもらったことでしょう。
もし私がピアノを教えるとなったら、子どもに厳しく言いすぎて、音楽さえも嫌いにさせてしまったに違いありません。

娘は、自ら演奏することには興味が薄かったようですが、音楽を聴いて涙したり、歌ったり踊ったり、家にいる時間は、ほとんど音楽と過ごしています。練習嫌いの娘を優しく包み込んでくださり『音楽の素晴らしさ』という宝物を渡してくださったピアノの先生に、心から感謝しています。

文・中村幸代

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